2015年2月
文・高松徳雄

2015年2月1日に読書会を開催いたしました。課題図書は兼好法師の『徒然草』でした。
クラリスブックスの読書会としては、初めて日本の古典を取り上げた会になりました。当日はとても寒く、風も強い一日でしたが、たくさんの方にお集りいただけました。誠にありがとうございました。

今回の読書会では皆様からいろいろな感想が出ました。このレポートでなかなかしっかりとまとめることができませんでしたが、どうぞご了承ください。

クラリスブックス読書会徒然草

ご参加いただいたほとんどの方は、中学や高校時代に教科書でこの作品に出会って、冒頭部分を暗記させられた、といったような経験はあるものの、それ以後読み続けるということはなく、そのまま通り過ぎてしまっていたようでした。私ももちろんそのような状況で、さらに私はといえば、国語、特に古典は大の苦手で、高校の時などは、相当悪い点数を次々とたたき出していた生徒でした。

今回この作品を読書会に取り上げたのも、このまま日本の古典がわからないままではよくない、という気持ちがあったからでした。参加された皆様もこのような考えがあったようで、この機会を逃しては一生『徒然草』を読まないのではないか、せっかくなので読んでみよう、と思っていただいたようでした。みんなで読めば怖くない、というかなり強引な発想が私の中にありました。

もちろん、日本の古典が好きで、有名な部分などはすっかり頭の中に入っている方もいらっしゃって、とても心強かったです。

ブログ03

さて、『徒然草』を読み進めてみて、まず、いろいろな内容がぎっしり詰まっている、という印象を持ちました。美しいものについての考察、人生論、仏教的思想についてなどなど、そして一方では、なんだかよくわからない、日常のちょっとした小ネタのような、挿話のようなものなど。さらにボーイズラブ?のような話も。

全体として、まとまりがあるようで、ないようで、不思議な構成をしている印象を受けました。やはり「つれづれなるままに」書いただけだったのでしょうか?しかし、解説などを読んでみると、段ごとのつながりをしっかりと考えて、結果としてこのような並びになったようで、そういった意味では、まだまだ私は読み込みが足りません。

かなり大きく分けると、内容は、人生論的なものと、日常生活のエッセイ的なものの二つに分けることができると思いました。エッセイのようなものの中には、一読するだけでは、あまり意味のないような話に映るものもありましたが、しかし参加者の方も言っておられましたが、それは当時の風習や風俗を伝えるという意味では、実は貴重な史料になる話だったりもして、そういった意味では文献学的な観点から『徒然草』をとらえることもできるのでは、と思えます。
一番最後の243段に兼好法師の父の話が出てきて、なんだか“父の詫び状”のような感じもあり、参加された方の言葉を借りれば、ボーイズラブから父の詫び状まで、広く、そして深く掘り下げた随筆、と、かなり強引な解釈をすることもできるかもしれません。

私は『徒然草』を、現在よくある、“がんばって生きよう” 的なエッセイ集のようなものだと思っていましたが、決してそのような単純なものではなく、また一方では、お固い哲学的思想書というわけでもないということが、今回皆で読み進めてわかりました。参加者の方が言っておられたように、もし現在兼好法師がいたら、どこか山奥に引きこもって、ツイッターやフェイスブックを駆使して、自分にふりかかる日常のさまざまな出来事や、芸能ネタや政治ネタなど、ありとあらゆることを呟き続けていたのでは、などと勝手気侭な想像を皆で巡らしてしまいました。

クラリスブックス読書会徒然草

今回の読書会では、その他モンテーニュの『エセー』との比較や、古典は声に出して読んだ方が読みやすく理解しやすい、今も昔も、“古き良き昔を懐かしむ”という気持ちは変わらない、などなど、夜7時から始まった読書会でしたが、あっという間に2時間以上が過ぎました。

次がいつかはわかりませんが、これを機にまた日本の古典を読書会で取り上げられれば、と思いました。それまでに、私はもう少し古典を勉強したいと思います。

 

クラリスブックス 高松

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