2016年12月
文・石村光太郎

 

2016年12月4日(日)クラリスブックスの読書会が開催されました。課題本はフィリップ・ロスの『素晴らしいアメリカ野球』を取り上げました。

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まず私の感想をいわせてもらうと、とにかく面白かった。無茶苦茶なストーリー、過激な表現、乱暴な言葉、下品なユーモア、下ネタと差別ネタのオンパレード、あらゆる言葉の毒が仕掛けられ小説。一見すると滅茶苦茶なわけの分からなさに最初は若干辟易するが、まるでお祭り騒ぎのようにはしゃいでいるように見えながら、作者は実に冷静にストーリーを運んでいるのが見えてくる。ゲラゲラ笑う場面も本人はちっとも笑っては書いていない。この小説の原題「The great American novel(偉大なるアメリカ小説)」を逆光から映し出すように狂気のアメリカの姿を描いてゆきます。
ソ連のスパイと化した(?)ギル・ガメシュのように罠を仕掛け読者を陥れてゆく。私のような単純な読み手はあっさりと作者の手に落ちてしまう。まあ、落ちて幸せなんですけどね。

長大な物語を綴る主旋律として野球というスポーツが使われています。アメリカ合衆国の歴史とアメリカ人の心に深く刻まれ、今なお愛され続ける野球がこの小説の核としてあることは、同じ野球が人気スポーツとしてある日本の読み手には特別な感慨があるでしょう。今回の読書会も野球の話で盛り上がるかなと思ったのですが、興味のある人があまりおられず少し残念でした。

この饒舌な長編から今回の読書会で読み取られたものは、理念のぶつかり合いということでした。人はルールの下で生きている。しかし環境や解釈の違いから同じルールの内部ですら、各人の持つ主義主張が様々な顔かたちで凝り固まり、正義や理念が衝突して後戻りできない破滅へといたってしまう。そんな愚かな人間の姿にgreatという形容詞を冠し、皮肉たっぷりに描いたということです。

この小説が発表された1970年代前半は東西冷戦の時代、アメリカ合衆国はベトナム戦争に揺れていました。合衆国と世界を通り過ぎていった幾多もの狂気の歴史の姿は、現在もなおいっそう混沌として続いています。この作品から40年あまりたった読書会の場でもこの小説の発するものは、今もなお皆の心にしかと受け止められたと思います。
先に述べましたが、この小説はかなり過激な表現があり、それがきつくて読み切れないかたもいらっしゃいました。かなり毒が強烈ですからあたってしまう人もいるかと思います。すべての本をすべての人が面白く感じる必要はないわけで、読めなくてもそれはひとつの読書体験だと思いました。

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さて、最後に野球の話を。

アメリカ合衆国の揺れ続ける歴史の中、野球は100年以上愛され続けています。若干のルール変更と、プレイスタイルの変遷はありつつ、今日もアメリカと世界中でカキーンとバットがボールを打つ快音と共に興じられています。この野球というスポーツにフィリップ・ロスは何を感じこの小説を書いたのでしょうか。
この小説にも言及されていますが、野球の中で3塁打ほどスリリングな体験はありません。打者が打ったボールが球場の外野の間を抜け、転々としてゆく間に1塁、2塁、3塁へと必死に走るランナー、それを阻止しようとボールを追う外野手、中継へと備える内野手、息をのみ見守るベンチの選手、監督、コーチ、そして観客。あらゆる興奮がピークを迎えるとき、3塁ベース上に滑り込み衝突するランナーと3塁手。土煙が舞い上がり、すべてが静止し、一瞬の静寂ののち審判の判定が下る。「セーフ!」
歓声と溜息が同時に球場を覆い、この気の遠くなるような一瞬のプレイは終止符を打たれ、次のプレイへと移ってゆきます。「素晴らしいアメリカ野球」の登場人物のうちの最高の野球選手ルーク・ゴファノンをして「あらゆるものより愛する」と言わしめた3塁打。そして我々もまた本塁打よりも断然3塁打のような小説を読みたいと思います。そして「素晴らしいアメリカ野球」はまさしく3塁打であったと思います。興奮のうちにアウトかセーフか、歓声か溜息か。読み終えた後に去来したものを語り尽くすには、読書会の時間では足りなかったかもしれません。

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