2017年4月
文・高松徳雄

まず、とても楽しかった読書会でした。楽しかった、というと少し語弊がありますが、ともかく、とても充実した読書会でした。

当店の読書会のような、あまり専門性のない会の場合、作品や作者の周辺の話でついつい盛り上がりがちですが、皆がしっかり作品に向き合って、自身の口で意見を述べてくれて、それらがとても、少なくとも私には新鮮で、はっと気付かされることが多く、読書会っていいものだな、と改めて思うことができました。

古本買取クラリスブックス 読書会 ポー

今回、ポーの『黒猫』『アッシャー家の崩壊』の二作品を取り上げましたが、私はかなり昔に一度読んだことがあった作品でした。子供の頃、江戸川乱歩の少年探偵シリーズにハマり、その延長で読んだのでした。

昔読んだ印象は、ただただ、怖い、暗い、黒、地下、といったイメージ。今回改めて読んで、やはり、怖い、そして暗い、という印象。ただ、年を重ねたせいか、イメージとして、ノートルダム寺院や、ピラネージの荒廃した古代建築群、音楽で言えば、悲しげな短調の、チェンバロやリュートの音色、そして、どこか古めかしい銅版画などなど、そういったモノクロームあるいはセピア色のイメージが頭に浮かび、良くも悪くも、作品に対する印象を左右したように思えます。

ところで、参加者のお一人、なんと、あえて地下室で読まれたとのこと!一体どういう場所だったのだろうか・・・確かに!面白い試みだと思いました。

『吾輩は猫である』を取り上げた時、私は家にいる猫をお腹に乗せながら読みましたが、それで理解が深まったかどうかはちょっと微妙で、ただ重いだけだったような気もしますが、雰囲気はよかったような。

さて、改めて読み直して、『アッシャー家の崩壊』は、詩的な表現が多用されていて、情景描写が、なんというか、すごすぎて、正直私にはちょっと取っ付きにくい感じがしました。昔読んだ時は、おそらく勢いで読むことができたのでしょう。難しい表現など、むしろ、「難しい表現」をそのままに受け入れる感覚が若い頃にはあり、そういう感覚が大人になって、余計な知識があることで失われてしまい、判りにくく感じたのだと思います。

『黒猫』はただただ不気味で、これは、なぜかすっと入っていくことができました。昔読んだ印象よりも、さらに怖い、おどろおどろしい印象。

どちらも、論理的、科学的整合性を無視して、言葉の持つ力で読み進めないと入っていくことができない作品だと思います。詩的な表現が多々あり、そういう意味では、読者を選ぶ作品なのかな、とも思いました。ポーは詩人という印象、ということを言われた参加者の方がいらっしゃいましたが、確かにその通りだと思いました。

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二つの作品とも、一人称で語られるというところに共通点があります。一つは当事者の視点、もう一つは傍観者、報告者としての視点ですが、当事者と報告者では、あまりに違いがあって、しかも、この両極端な面がことさら強調されていて、二つの作品をとりあげたことにより、それらがより一層際立ったように思いました。両作品とも、特に物語がしっかりあるというわけではなく、その情景描写で読むものを引き込ませる作品、『黒猫』で猫を虐待する描写は、ことさら細かい記述ではないにも関わらず、一人称であることにより、その恐怖と残忍性がより一層深まっていると感じました。(猫を飼っている身としては、かなり辛い場面の連続でした)

外国の小説を取り上げると、必ず出てくる、訳の問題。ポーのような有名な作家の場合、訳本がたくさんありますが、どれがいいのか、正直我々にはわかりません。人それぞれ、読みやすいものが正解だと思います。新しいものがいいというわけでもなく、逆に古い訳だからだめというわけでもなく、難しいところです。
この問題は突き詰めると言語哲学の領域にまで発展しそうで、そこまでいくと訳が分からなくなってしまいますが、ただ、読書会という場で、皆で読み比べることができるのは、とても有意義なことのように思えます。

最後に、日本の江戸川乱歩は、このポーから名前を取って、その名に恥じない膨大な作品群、そして功績があるということに、我々日本人はもっと誇りに思っていいのでは、などと思いました。

クラリスブックス 高松

 

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