2017年7月
文・高松徳雄

まず、今回の読書会は、個人的には、今までで一番楽しめたものになりました!

私が野球好きということが楽しめた理由としてありますが、なによりも、野球について皆でいろいろと語り合うことができ、それにより、より一層野球というものの不思議さや魅力を実感することができたのが大きな要因です。
野球とは何か、ではなく、むしろ、何が野球なのか、野球を野球たらしめているものは何か、といったような、今までの野球に対する考え方の方向性とはむしろ逆のベクトルで野球というものを考える機会になったこと、これは私にとって、とても大きな経験になりました。

古本買取クラリスブックス 読書会 高橋源一郎
▲単行本版。初版1988年

さて、今回の読書会では、『屋上野球』というリトルプレスの第一号にて、なんと、今回の課題図書『優雅で感傷的な日本野球』の著者高橋源一郎さんに単独インタビューをされた、ライターのかつとんたろうさんが来てくださいました。野球についての豊潤な知識と洞察力、これにはただただ敬服するばかりで、正直ずっとお話していたかったのですが、ここは読書会の場、また機会を設けてじっくり野球談義を交わしたいと思いました。

古本買取クラリスブックス 読書会 高橋源一郎

古本買取クラリスブックス 読書会 高橋源一郎

今回の課題図書である『優雅で感傷的な日本野球』、この作品を選んだ理由は、少し前におこなった読書会で取り上げた作品、フィリップ・ロスの『素晴らしいアメリカ野球』が、私にとってはものすごいインパクトで、この作品に影響を受けて書いたであろう『優雅で感傷的な日本野球』という作品が、一体どのような小説に仕上がっているのか興味があったのと、高橋源一郎さんの作品を今まで読んだことがなかったということもあり、今回取り上げたのでした。

今回もいつもの読書会と同じくいろいろな意見がありましたが、一番多かったのは、「あまりちゃんと理解できていないかも、、、」といったようなものだったように思います。
フィリップ・ロスの『素晴らしいアメリカ野球』に比べると、まず、そもそも作中に野球の試合があまりない。『素晴らしいアメリカ野球』は、いろいろヘンテコな選手や監督、審判その他野球を取り巻く不思議な人や出来事があり、中心は野球の試合だったのですが、この作品は、具体的な試合というより、少し観念的というか、何かの象徴としての野球、といったような捉え方で物語が進むので、読みづらくはないけれど、分かりにくい、という印象がありました。
ただその分、逆に野球にあまり詳しくない方や、興味のない方にも受け入れられたのかも、と思えました。また、そういった物語の進行が、野球というものを結果的により深く掘り下げ、読者に考えさせる契機になっているかな、とも思えました。

 

「世界の表象としての野球」、これはライターのかつとんたろうさんの言われたことですが、このような野球に対する捉え方は、野球が単なるスポーツではなく、そのプレイ一つ一つが、世界で引き起こされる事象一つ一つと符合するからに他なりません。

球場の外野の広さには実は規定がなく、ものすごく広くてもいい。これは、野球が始まった19世紀初頭、打った球が遠くに飛んで、ここまで飛べばホームランでいいんじゃないか、というような、とても柔軟な考えがあったからかもしれませんが、観念的には、このことは、空間の際限がない、無限に広がる世界そのものの反映と考えらないとも限りません。
また野球は、基本的に、決着がつくまで試合が終わらない。同点の場合、ルール上、延長12回までとか、15回までとか、メジャーリーグでは、観客が帰れなくなってしまうから、夜中0時までとかありますが、本当は決着がつくまで終わることのないスポーツです。実際メジャーリーグでは引き分けという概念がなく、同点の場合は一時中断となり、翌日再開されます。
ラリーがつづくテニスや卓球も時間的制限がないと言えばないけれど、これは現実的ではありません。一方野球は、ずっと決着がつかないということが、実はかなり起こりうる。このことは、時間的制約がないということを表していて、先ほどの球場の広さの規定がないことと考え合わせると、とても象徴的な表現ですが、時空の制約のないスポーツ、と捉えることができるわけです。

1イニングで3つのアウトを取って、それを9回。その時間軸を一日に置き換えることもできるし、一年に置き換えることもできるし、人の一生に置き換えることもできる。なぜなら、そこには大なり小なり、実にいろいろな出来事が起こるからです。
野球解説者の武田一浩がぼそっと言っていましたが、現役時代、自分は1500イニングくらい投げたが、1イニングを3球で終わらせたのは一回しかない。しかも、ヒットを打たれて。最初のバッターに初球ヒットを打たれて、次の打者は初球バント失敗でダブルプレー、最後のバッターも初球を打って、これがファールフライ。終わってみると、あっ、3球で終わった、とのこと。
こんな出来事、なかなか起こりません。でも、10年間に一回くらい、もしかしたら、一生のうち一度くらい、こんな、あっけらかんとした一日、あるかもしれません。

さて、『優雅で感傷的な日本野球』では、1985年の阪神タイガースの優勝という出来事が大きな要素となっています。
1985年の阪神優勝、まさに、ハプニングのような出来事、この事件を実体験として経験している読者と、歴史の一部として認識している読者とでは、捉え方に大きな差があり、私自身は、当時小学校高学年で、何となく覚えているという印象。「ダメ虎」時代を知らず、なぜ今年こんなに強いの?強すぎないか?などという疑問もないまま、真弓が先頭打者ホームランを放ち、さらに、バース、掛布、岡田がぼんぼんホームランを打つのを、子供ながら単純に楽しんでいただけで、その優勝が一つの事件のように捉えられる、奇跡という表現ではなく、何かちょっとしたハプニングのような優勝、という位置づけをすることは、もちろんできませんでした。
野球はスポーツなので、勝つ理由、そして負ける理由が必ずあります。しかし、いろいろな要素が、ものすごい確率、天文学的な確率が重なり合って、それらの理由を作ることもあります。それは奇跡と呼ばれることも、単なる偶然と呼ばれることもあります。
この作品の中の一節にも、「ダブルプレーが完成するまでに、ショートがやらなくちゃいけないことは、ざっと数えても千二百はあるんだ」とあるように、コツコツといろいろな出来事の繰り返し、そして積み重ねでじわじわと終わりを迎える。本当に、野球は人生そのものじゃないか、と思ってしまいます。

古本買取クラリスブックス 読書会 高橋源一郎
▲河出文庫版。表紙がなんともよい。ファミコンの「ベースボール」そのまま。

最初にも書きましたが、かなり個人的な興味で盛り上がった今回の読書会。「よくわからない」という方には申し訳ないと思いつつ、店主の特権として、とても楽しまさせていただきました。どうもありがとうございました。

 

クラリスブックス 高松

 

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