2017年10月
文・高松徳雄

 

10月のクラリスブックスの読書会では、モーパッサンの『脂肪の塊』を取り上げました。
モーパッサンと言えば、やはり『女の一生』が挙げられるかと思いますが、こちらは私が一度読んだことがあって、この『脂肪の塊』はかなりの短編でさらっと読めるかなと、少し安易な考えから選びました。自分勝手な選書ではありましたが、しかしこの短編の中に実に深いテーマが含まれていて、正直、驚きました。選んでよかったです。

戦争という非日常により、偶然馬車に乗り合わせることとなった人々、貴族出身の有産階級、財をなしたブルジョワ、修道女である聖職者、共和主義者、それに娼婦である、ブール・ド・シュイフ(脂肪の塊)。それは、当時のフランスの社会的階層を、かなり大雑把かもしれないけれど、それぞれ代表していて、つまりその馬車は、フランス社会の縮図という構造になっています。このような巧みな舞台設定は、その後数多くの文学作品、さらに映画にも見受けられ、影響の大きさが感じられます。

娼婦ということで皆から軽蔑され、そしてむしり取られる。聖職者でさえも皆と同調し、よってたかって“脂肪の塊”を喰い尽くす有様には怒りを覚えるし、悲劇を通り越して、もはや喜劇になっている状況。

この『脂肪の塊』は、ほんとに短い作品ですが、普遍的な問題を提起しているように思えてなりません。
自分の命や財産が脅かされる状況にあったとして、実際人々はどのような行動をとるのか?弱い者を助けなければならないという正義はどこまで通用するのか?一人が犠牲になって他の者が助かる、そこには英雄譚が生まれ得る可能性はあるけれど、結局、生き残ったものは、同じように生き残ることだけを考える。その犠牲になった者は無念にも死んでいって、そして忘れ去られるだけだとすれば、この世界には、ただただ独善的な正義しかなく、善などなにもない。モーパッサンは、そんなことを言いたかったのではないか、とすら考えてしまいます。
普仏戦争という地獄を体験したモーパッサンは、しかしそれを直接的な表現で訴えるのではなく、こんな短い作品の中で、しかも戦場ではなく、一般市民を登場人物として描ききっているところに、彼の才能をかいま見ることができるのではないでしょうか?

『脂肪の塊』というタイトルから、私はてっきり面白おかしい短編と勘違いしていまして、そのギャップから、なおさらこの作品の底に流れるどす黒い人間の血のようなものを感じ取ることができたのかもしれません。
いつも通り、参加者の方からはいろいろな意見が出ました。仕事や社会生活に置き換えて考えたり、2011年の震災後の日本の状況、あるいは戦争を体験した方から聞いた話など。人は一人では生きていけない以上、命にかかわることでもなく、ほんとに些細なことだとしても、この作品のような状況というのはいろいろな形で常に経験します。皆が犠牲になり、そして同時にむしり取る側になります。
ほんとに、怖い作品でありました。

 

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