2017年2月
文・高松徳雄

2017年2月5日、アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』を課題図書として、読書会を開催いたしました。2014年1月から始めた読書会、いままで38回も開催してきましたが、おそらくこの『幼年期の終り』が、いちばんスケールの大きい作品だったのではないでしょうか?

「スケールの大きさ」というのは、その捉え方でいろいろな意味になるかと思います。ドストエフスキーの『罪と罰』や『悪霊』、あるいは、ギリシア悲劇の『オイディプス王』、コンラッドの『闇の奥』、柳田国男の『遠野物語』も、スケールが大きいといえば、確かに大きい。しかしこの『幼年期の終り』は、単純に、文字通り、物理的に、大きい。大きすぎる。正直、ぶっ飛んでいる、とさえ言えます。

古本買取クラリスブックス SF文庫

私は学生時代にこの作品を一度読んだことがありました。けっこうな衝撃でした。中学生の頃、映画『2001年宇宙の旅』を見て、その感動から原作を読み、そしてそれ以外のクラークの作品を読んでいるところで、この作品に出くわしました。そして今回再読したのですが、やはり面白い。もちろん、いろいろと突っ込みどころはあります。しかし、そういった突っ込みどころがあるにしても、いや、あるからかもしれないが、この作品は傑作だと思います。

私は単語力が少ないので、どうもこの作品をうまく表現することができないのですが、参加者の方が言われた一言、「静謐」、という言葉。この作品にずっと漂っている空気感、それは、静謐、というその一言で言い表されると感じました。
上品とも違う、荘厳とも違う、悲哀とも、ちょっと違う。人智を超えた何かと対峙した時に沸き起こる、諦めの心、そして悲哀の感情。個ではなく全に収斂される人類の行く末、そこにはもはや感情はなく、ただ事実のみがあるだけ。
そういった、何か巨大な流れにゆっくりと身を委ねる人類、そこには、美しく、同時に悲しい静けさがあるだけで、その叙事詩的風景が、静謐という言葉で置き換えられるような気がしたのでした。

さて、ちょっと内容に。
今回の読書会でも参加者の多くの方が言われていましたが、まず、物語の構成、進め方がうまい。
物語冒頭、これはSFの中の、いわゆる「ファーストコンタクトもの」の様相を呈しています。突如現れる巨大宇宙船団。ものすごいテクノロジーで、我々人類を圧倒する。戦っても勝ち目が無いのは明らか。しかし、彼らは侵略が目的ではないようで、とすれば一体何の目的で地球に来たのか?それがわからないまま、物語はゆっくりと進行していきます。我々読者は、その目的を知りたいので、どんどんページをめくります。
彼らが地球に来たおかげて、民族間の争いや、醜い宗教戦争がなくなり、世界は平和に満たされます。しかしそれでも、彼ら、上主(オーバーロード)の真の目的は分からぬまま。
最終章、いよいよ彼らの本当の目的、そして人類の行く末が明らかに。「ファーストコンタクト」ものと思いきや、物語が進むにつれ、ちょっと違う方向へ進んでいるな~という感じがしつつも、まさか、そんな、とてつもない結末が待っていようとは。作者アーサー・C・クラークの視点の巨大さに、畏怖の念すら感じます。

最終章に登場する、オーバーマインド=主上心を合わせると、人類・上主・主上心という3つの階層が存在し、それは、一読するだけでは、キリスト教的構造を成しているようにも思えますが、しかし、このように、「上にはまだ上がいる」という構造は、キリスト教的価値観を抜け出ています。そもそも、「上主」の原文はOVERLORD。上主は、LORD=主、の上、という意味になり、つまり、神を超えた存在、と捉えることができるわけで、この瞬間、すでにキリスト教の世界観、いや、一神教的世界観は崩れています。ここにクラークの世界観、宗教観を読み取ることができると思います。
しかも、人類が「進化」し、さらに、さらにその先を目指しますが、そこではたと立ち止まって、「なぜ?」と考えると、そこには答えがありません。より善き方へ、という上主、主上心の意志は、果たして何のために?という問いへの答えにはなりません。そこをオブラードに包んで、ある意味、事実のみを突きつけて、ただただ進んでいきます。そこには一神教的な神と人との関係性はなく、東洋的な、輪廻の思想に近いものがあり、また、参加者の方も言っておられましたが、「神は死んだ」と宣言した、ニーチェの永劫回帰の思想にも通じるものがあるのでは、と考えられます。

 

古本買取クラリスブックス SF文庫
▲ハヤカワSF文庫版

古本買取クラリスブックス SF文庫
▲創元社推理文庫SF版。タイトルが『地球幼年期の終わり』となっている。

ところで、この作品には日本語の訳本が三つあります。創元推理文庫SF版、ハヤカワSF文庫版、光文社古典新訳シリーズ版。私は、学生時代にハヤカワSF文庫を読み、今回、あえて一番最初の翻訳本である、創元推理SF文庫版を読みました。オーバーロードやオーバーマインドを、カタカナ表記せず、日本語にしているのがいいと思いました。

物語の最終章があまりにも急展開すぎて、いろいろと疑問に思う事はあります。
そんな短期間で「進化」は起こるのか。1万年とか100万年とか、あるいは1億年という単位なのでは、と思いますが、そこはあえて、簡略化して説明してくれているのかも、と捉えることも、できなくはない。そういう意味では、おそらく影響を受けているであろう、手塚治虫の『火の鳥』の「未来篇」は、火の鳥によって永遠の命を授けられた主人公が進化を見守るという形を取っているあたり、さすが、神さま手塚治虫、と思います。
突っ込みどころと言えば、第2章の黄金時代のところで、人類に争いや悩みなどなくなった、とあるけれど、確かに民族間や宗教間の争いは無くなるかもしれないが、ほんとに細かいところ、男女の三角関係とか、嫁姑戦争とか、隣の家の住民が面倒とか、どのような状況にあっても、人間が人間と共に生活する以上、喜びもあれば、それと同じくらい悩みもあるのでは、と思います。だから、芸術が滅びることはないのでは、とも思ってしまいます。

そういった、ちょっとくだらない言いがかりのような突っ込みを入れられるとしても、この作品『幼年期の終り』は、SF作品の中では群を抜いていて、もはや、SFという枠を超えていると思います。SFは子供が読むもの、と思っていた参加者の方もおられましたが、こういう素晴らしい作品があることを、少しでも多くの方に分かってもらえれば、嬉しい限りです。
この作品が発表されたのは1953年。すでに60年以上経っています。政治的あるいは社会的背景は時代を感じさせますが、その根幹にある思想は、決して輝きを失うことはないでしょう。

クラリスブックス 高松

 

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