2016年9月
文・高松徳雄

今年2016年は、夏目漱石没後100年ということで、書店やさまざまなメディアではいろいろなフェアが開催されて、さらに朝日新聞では、今回クラリスブックスが読書会で取り上げた『我が輩は猫である』の連載を始めるなど、いろいろと面白い動きがありました。前々から漱石の作品を読書会で取り上げたいと思っていたので、節目にあたる今年、読書会でこの作品を取り上げることができたのは幸運でした。

さて、夏目漱石の『吾輩は猫である』、読んだことはないけれど、題名はだれもが知っている、日本で最も有名な小説なのではないでしょうか?この作品は、ユーモア小説、喜劇小説、風刺文学などと表現されていますが、今回読書会をするにあたって、改めて読み直してみると、かなり奥深い文学作品であって、読書会に参加された方も言われていましたが、その後の漱石文学の元となるものが多数埋め込まれている、原点にして終着点、というのは大げさかもしれませんが、しかしそれくらいの幅と深みをもった作品ではないだろうかと思わざるを得ませんでした。

古本買取クラリスブックス読書会吾輩は猫である夏目漱石
▲新潮文庫版『吾輩は猫である』

猫という、ものすごい便利な装置を小説に導入することによって、社会風刺を一歩下がったところから行っていて、それは世の中を達観する賢者の視点であるけれど、そこに猫自身のツンデレ感も相まって、何か教訓めいたことを述べるにしても、それは別に押し付けがましくない、言い換えれば、すべてが平等に風刺され、皮肉られていて、何か正しいものを特別に断定することなく、主人である苦沙弥先生とその周辺のおかしな人々の生活は淡々と過ぎて行くという時間軸。その視点と時間の流れは、単独行動をする猫の孤独感の現れのようでもあり、ひいては作者漱石の心象風景のようにも思えました。

こういった素晴らしい装置の役割を担っているのが、可愛いニャンコというところが、当たり前かもしれませんが、結局最も重要で、それは、作品名にもなっている、冒頭の「我が輩は猫である」という一文に収斂されているということに、今更ながら驚かされます。そしてそれに続く「名前はまだ無い」という文が非常に重要。結局この猫は名前を付けてもらうことがなかったのですが、もし「太郎」とか「シロ」とか「トラ」とか、何か名前を付けられていたら、一歩下がったところからの社会風刺にどこか偏りが出てしまう。名前があると、自由気侭な猫といえどもどこかに所属してしまい、公平性が失われてしまう。名前がないが故に、一歩下がったところ、言い換えれば、俯瞰して物事を捉えることができるようになっているのだと思います。

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▲岩波書店、新書サイズの『漱石全集』。旧仮名遣いなので、ちょっと読みにくいのですが、だんだんと読めてくる。

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当時行われていた日露戦争での東郷大将の作戦を踏まえつつ、延々と偉そうなことを述べ立てているにもかかわらず、ネズミ一匹すら捕まえることができないドジっぷりが、またなんともかわいい猫。しかしその猫の頭脳は漱石自身の頭脳であって、若い時に培われてきた東洋の古典の下地に、ソクラテス以前の哲学者から、19世紀の思想家、政治家、それにもちろん文学者まで、ありとあらゆる西洋文化を網羅した知識がそこには備わっていて、当代随一の知の集合体とでも形容しうる知識人たる漱石、その漱石の頭脳が、すべてこの一匹の猫に収まっているという構造、もしこれが犬だったら、その知識を活かして、いろいろと世のため人の為に動くものを、自分勝手で気侭な猫だから、作者漱石の視点でありつつも、漱石の分身たる苦沙弥先生はもちろん、作者夏目漱石自身をも客観的に皮肉っているようにも思えるあたり、これは猫だからなし得る芸当なのだと思います。

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『吾輩は猫である』は、かなり長い作品です。始めの方は、猫がいろいろなところに出歩いたり、隣の三毛子にちょっかいを出したり、運動しなくちゃならないなどと考えて蝉を捉えたりといったような、ユーモア小説という側面が多いのですが、物語が進むにつれて、作品の中心は主人の苦沙弥先生とその友人知人たちとの会話に移ってきます。そして終盤になると、ほとんど厭世的といってもいいような話題が所々登場し、最初の方とはかなり趣が異なる作品になっていることに気づかされます。作者漱石のどのような考えがそうさせたのか、連載小説ということもあって、編集者、あるいは読者の評判など、いろいろな意向が働いたのか、これは研究書などを読み解かないと分からないのですが、一読者としては、少し不思議な感じがします。今回読書会にご参加いただきました方の中にも、だんだん読みづらくなってきた、猫の視点が薄れてきた、といったような意見も出ました。この変化自体が、猫の気侭な性格の表れであるなどと妄想すると、猫好きな私としては、益々この作品に愛着が涌いてくるのでした。

ともあれ、今回読書会でこの作品を皆で囲んで話し合った時間はとても有意義なもので、当時の世相のこと、知識人について、作者漱石とその家族の話などなど、話は尽きることはありませんでした。作中の最初の方だったかと思いますが、「吾輩は20世紀の猫であるから」云々という文があり、私も20世紀生まれの人間なので、こんなところでとても親近感が沸きました。漱石も、そんなに昔の人ではないんだな〜と思えて、私にとって読書の楽しみを教えてくれた人なので、まだ読んでいない作品を、これからじっくり読み進めたいと改めて思いました。

 

クラリスブックス 高松徳雄

 

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